トウカイテイオー 父 シンボリルドルフ 母父 ナイスダンサー
全勝利(G1以外)
新馬 中京芝1800m 安田 隆行
500万特別 京都芝2000m 安田 隆行
OP特別 京都芝2000m 安田 隆行
OP特別 中山芝2000m 安田 隆行
産経大阪杯 阪神芝2000m 岡部 幸雄
G1成績
皐月賞 中山芝2000m 安田 隆行 1着
東京優駿(日本ダービー) 東京芝2400m 安田 隆行 1着
天皇賞(春) 京都芝3200m 岡部 幸雄 5着
天皇賞(秋) 東京芝2000m 岡部 幸雄 7着
ジャパンカップ 東京芝2400m 岡部 幸雄 1着
有馬記念 中山芝2500m 田原 成貴 11着
有馬記念 中山芝2500m 田原 成貴 1着
この年は、クラシック3強の時代。(ウイニングチケット・ビワハヤヒデ・ナリタタイシン)古馬では、メジロマックイーンがトップをはっていたけど、秋初戦、京都大賞典後引退。天皇賞(秋)を叩き合いでわずかに敗北したセキテイリュウオー。ジャパンカップをデザーモ騎手のミスにより勝利したレガシーワールド。
トウカイテイオーは、1年振りの出走となっていた。
前年、天皇賞(秋)で惨敗後、ジャパンカップでは見事に復活V。1番人気で迎えた有馬記念では、また惨敗で故障してしまう。
故障が癒えてレースに出走できたのは、1年振りの有馬記念だった。
1番人気 ビワハヤヒデ
騎手 岡部幸雄 調教師 浜田光正 (父 シャルード 母父 ノーザンダンサー)先週も話題にしたBNW(ビワハヤヒデ・ナリタタイシン・ウイニングチケット)の1頭。東京優駿(日本ダービー)後・神戸新聞杯圧勝。菊花賞圧勝で同レースに。 岡部騎手が好位差しの身上の同馬。中山競馬場も向きそう。
2番人気 レガシーワールド
騎手 河内洋 調教師 森秀行 (父 モガミ 母父 ジムフレンチ) 前年の有馬記念2着の同馬。翌年AJC杯2着・京都大章典2着後、ジャパンカップ1着(コタシャーンの騎手のゴール板・間違え) それで同レースを迎える。前年の2着もあり適性充分。
3番人気 ウイニングチケット
騎手 柴田政人 調教師 伊藤雄二 (父 トニービン 母父 マルゼンスキー) 先週も話題にしたBNWの東京優駿(日本ダービー)馬。東京優駿(日本ダービー)後は 京都新聞杯(当時は菊花賞TR)1着後。菊花賞3着・ジャパンカップ3着で同レースに。 いつも一杯一杯のレースなので疲れが心配だった。
4番人気 トウカイテイオー
騎手 田原成貴 調教師 松元省一 (父 シンボリルドルフ 母父 ナイスダンサー)2年前(91年)無敗の2冠馬。東京優駿(日本ダービー)後故障をするが翌年(92年) 春に復活。天皇賞(春)ではメジロマックイーン。天皇賞(秋)ではレッツゴーターキーに敗れてしまう。(秋は惨敗)。 しかし、ジャパンカップで見事に復活。岡部騎手(当時主戦)が珍しくゴール後ガッツポーズしたのが話題になった。それ後騎乗停止になった 岡部騎手の替わりに田原騎手で有馬記念に出走するが1番人気で惨敗。その1年後同レースを迎える。 1年ぶりのレースで果たしてどうなるか?と思っていた。
前年(92年)の有馬記念を逃げ切った横山典騎手メジロパーマーが逃げる。好位の岡部騎手ビワハヤヒデ・中段前に河内騎手レガシーワールド 田原騎手トウカイテイオー。4コーナー早めに柴田政騎手ウイニングチケットが進出するも脚がなく。好位から差していった岡部騎手ビワハヤヒデを田原騎手トウカイテイオーが差しきる。(昔のパートナーをあざ笑うかのように) 後3着のナイスネイチャーが3年連続3着。という珍しい記録を作る。
1 トウカイテイオー 田原 2・30・9
2 ビワハヤヒデ 岡部 2・31・0
3 ナイスネイチャー 松永昌 2・31・6
単 940円 複 470円 140円 450円 枠 960円 馬 3290円
トウカイテイオー
田原騎手
「日本の競馬の常識をくつがえす偉業を成し遂げたテイオーを 褒めてやってください。ボクは、ほんの手助けをしたにすぎない。彼自身が自分の手で歴史を作ったのです」
ビワハヤヒデ
岡部騎手「こちらは絶好の手応え。それなのに、それ以上の勢いで何かが外から来るのでどの馬かとみたらテイオーだった。驚いちゃったよ。ほぼ理想どおりのレースができたと思う。」
ナイスネイチャー
松永騎手 「不利もなく力を出し切っちゃたが2頭は強すぎた」
トウカイテイオーは、このレース後、レースに出走することなく引退した。
産駒は、トウカイポイント(マイルCS)・ヤマニンシュクル(阪神JF)
トウカイテイオーには正直驚いた。前年(92年)ジャパンCの勝利も驚いたが、1年ぶりにレース 出てしかも勝つなんてビワハヤヒデも完璧なレースをしただけに残念だった。(この年の年度代表馬も納得)トウカイテイオーのベストは2000m前後だと思う。2400m以上のレースで勝利した後は骨折や惨敗しているだけに無理して走っていたのかもしれない。
|