オフサイドトラップ名勝負|1998年天皇賞(秋)制覇までの軌跡|成績・血統・新潟記念

競馬名勝負

オフサイドトラップ名勝負と聞けば、多くの競馬ファンが最初に思い浮かべるのは1998年の天皇賞(秋)でしょう。

ただし、あのレースは勝ち馬の名前だけでは語れません。圧倒的な1番人気だったサイレンススズカが故障を発生し、競走を中止したレースでもあるからです。私もテレビでライブ観戦していましたが、オフサイドトラップがGIを勝った喜びより先に、何とも言えない重い空気を感じたことを覚えています。

それでも、オフサイドトラップのGI制覇を「運が良かった」の一言だけで片づけてしまうのは違うと思います。

ナリタブライアンと同じ世代で、皐月賞では5番人気、東京優駿(日本ダービー)では6番人気に支持された関東の期待馬。度重なる脚部不安に耐え、長い休養を挟みながら現役を続け、8歳となった1998年に七夕賞、新潟記念、天皇賞(秋)を3連勝しました。

この記事では、オフサイドトラップの成績、血統、クラシック挑戦、脚部不安との戦い、1998年新潟記念、そして競馬史に残る天皇賞(秋)を、当時を知る競馬ファンの視点から振り返ります。

この記事の結論

  • オフサイドトラップは1991年生まれで、三冠馬ナリタブライアンと同期
  • 通算成績は28戦7勝、2着8回、3着5回で、3着内率は71.4%
  • 父トニービン、母トウコウキャロル、母父ホスピタリテイの栗毛馬
  • 1998年に七夕賞、新潟記念、天皇賞(秋)を3連勝
  • 天皇賞(秋)はサイレンススズカの故障で記憶されるが、勝ち馬自身の積み重ねも評価すべき

オフサイドトラップとは?基本プロフィール

オフサイドトラップは1991年4月21日、北海道新冠町の村本牧場で生まれた栗毛の牡馬です。美浦の加藤修甫厩舎に所属し、渡邊隆氏の所有馬として走りました。

現役生活は1993年12月のデビューから1998年12月の有馬記念まで。旧年齢表記では3歳から8歳、現在の年齢表記に直せば2歳から7歳に相当します。

馬名 オフサイドトラップ(Offside Trap)
生年月日 1991年4月21日
性別・毛色 牡・栗毛
トニービン
トウコウキャロル
母父 ホスピタリテイ
調教師 加藤修甫(美浦)
生産牧場 村本牧場
通算成績 28戦7勝・2着8回・3着5回
主な勝ち鞍 1998年天皇賞(秋)GI、七夕賞GIII、新潟記念GIII

数字で特に目を引くのは、28戦のうち20戦で3着以内に入っている点です。勝率25.0%、連対率53.6%、3着内率71.4%。脚元に不安を抱え、順調に使えない時期が何度もあった馬としては、非常に安定した成績といえます。

「いまひとつ成績がパッとしなかった」という印象を持つ人がいるのは、期待されたわりに重賞タイトルへなかなか届かなかったためでしょう。しかし、勝ち切れなかった時期にも2着や3着を重ねていました。弱かったのではなく、能力を出せる状態でレースへ送り出すこと自体が難しかった馬でした。

Jリーグ開幕期に印象を残した「オフサイドトラップ」という馬名

1993年にJリーグが開幕し、日本中でサッカー人気が一気に高まりました。その年の12月に競走馬としてデビューし、翌1994年のクラシックへ進んだのがオフサイドトラップです。

オフサイドトラップとは、サッカーで守備側の選手が連動して最終ラインを押し上げ、相手選手をオフサイドの位置へ置く戦術のこと。競馬を始めたばかりの人にも覚えやすく、当時の空気を感じさせる馬名でした。

「Jリーグが開幕した翌年のクラシックに、オフサイドトラップという馬が出てきた」。この時代の流れまで含めて記憶している競馬ファンは少なくないはずです。

もちろん、馬が生まれたのは1991年であり、馬名の由来そのものをJリーグ開幕と直接結びつけて断定することはできません。それでも、サッカーが社会現象になっていた時代と重なったことで、馬名のインパクトがより強くなったのは間違いないでしょう。

ナリタブライアンと同期|関東の期待馬としてクラシックへ

オフサイドトラップは、三冠馬ナリタブライアンと同じ1991年生まれです。

デビューは1993年12月11日の中山芝1600メートル新馬戦。中舘英二騎手が騎乗し、2着でした。次走の中山芝2000メートル新馬戦も2着。3戦目は中山ダート1800メートルの未勝利戦に回り、安田富男騎手とのコンビで初勝利を挙げます。

そこから勢いに乗りました。東京芝1800メートルのセントポーリア賞を勝ち、中山芝2000メートルの若葉ステークスも1番人気で勝利。初勝利から3連勝で皐月賞へ進みます。

1994年皐月賞は5番人気

1994年4月17日の皐月賞では、ナリタブライアン、サクラスーパーオー、フジノマッケンオー、トニーザプリンスに続く5番人気。重賞未勝利馬でありながら、ファンはオフサイドトラップの素質を高く評価していました。

結果はナリタブライアンの7着。勝ち負けには加われませんでしたが、関東馬の有力候補として注目されていたことは、5番人気という数字からも分かります。

東京優駿(日本ダービー)は6番人気

続く日本ダービーでも6番人気に支持されました。皐月賞7着からの巻き返しを期待した競馬ファンが多かったのでしょう。

しかし、ナリタブライアンが5馬身差で圧勝するなか、オフサイドトラップは8着。世代の頂点には届きませんでした。ナリタブライアンはその後、菊花賞も制して三冠馬になります。

オフサイドトラップのクラシック成績だけを見れば、皐月賞7着、日本ダービー8着です。ただ、5番人気と6番人気に推された事実は重要です。後年になって突然現れた伏兵ではなく、若い頃から大舞台を期待された馬だったのです。

脚部不安と長期休養|勝ち切れなくても崩れなかった成績

オフサイドトラップの競走生活を語るうえで避けられないのが、度重なる脚部不安です。

主戦を務めた安田富男騎手も、後年の著書で脚元を気にしながら調整と騎乗を続けていた趣旨を振り返っています。全力で鍛え、予定どおりにレースを使い続けられる馬ではありませんでした。

1994年7月のラジオたんぱ賞4着後は約5か月の休養。1995年2月のバレンタインステークスを勝った後は、次に走ったのが同年12月です。さらに1997年5月のエプソムカップ後は、1998年3月まで約10か月レースから離れました。

現在の感覚なら、長期休養から復帰した高齢馬が再び重賞戦線の中心へ戻るだけでも難しいことです。しかも当時の8歳は、現在の表記では7歳。若い馬のように次々と上積みを見込める年齢ではありません。

それでも、オフサイドトラップは復帰するたびに能力を見せました。

  • 1994年ディセンバーステークス:3着
  • 1995年バレンタインステークス:1着
  • 1995年ディセンバーステークス:3着
  • 1996年ディセンバーステークス:2着
  • 1997年中山記念:2着
  • 1998年東風ステークス:2着
  • 1998年韓国馬事会杯:2着
  • 1998年新潟大賞典:2着
  • 1998年エプソムカップ:3着

勝てない。しかし、大きくは崩れない。重賞やオープン特別で2着、3着を繰り返す姿は、当時の競馬ファンにとって少しもどかしいものでした。

一方で、これだけ長く高いレベルを保てたのは、陣営が脚元を守りながら大切に使ったからでもあります。オフサイドトラップのGI制覇は、馬の能力だけでなく、加藤修甫厩舎が何年も辛抱した末にたどり着いた結果でした。

1998年、蛯名正義騎手とのコンビでついに開花

転機は1998年の夏に訪れます。

同年のオフサイドトラップは、東風ステークス2着、韓国馬事会杯2着、新潟大賞典2着、エプソムカップ3着。安田富男騎手とのコンビで復活を印象づけた一方、またしても勝利には届いていませんでした。

次走の七夕賞で、関東を代表する騎手の一人だった蛯名正義騎手に乗り替わります。

1998年七夕賞|初重賞制覇

1998年7月11日、福島芝2000メートルで行われた七夕賞。オフサイドトラップは57キロを背負い、2番人気に支持されました。

逃げたタイキフラッシュを中団から追い、直線で一歩ずつ差を詰めます。最後はクビ差でかわし、1分59秒2で優勝。デビューから約4年7か月、通算25戦目で待望の重賞初制覇でした。

「もっと早く重賞を勝てた馬」という見方もできます。しかし、脚部不安で何度も長期休養を経験した馬が8歳で初重賞を勝つこと自体、簡単ではありません。

七夕賞の勝利は、遅れてきた素質馬がようやく能力に見合うタイトルを手にした瞬間でした。

オフサイドトラップの名勝負|1998年新潟記念

七夕賞で初重賞を制したオフサイドトラップは、1998年8月30日の新潟記念へ向かいます。

当時の新潟記念は、現在とは異なる旧新潟競馬場の芝2000メートル・右外回りで行われていました。天候は曇、馬場は重。オフサイドトラップは前走より1キロ重い58キロのトップハンデを背負いながら、1番人気に支持されました。

着順 馬名 騎手 斤量 タイム・着差
1着 オフサイドトラップ 蛯名正義 58kg 2分00秒6
2着 ブラボーグリーン 柴田善臣 54kg ハナ
3着 ファーストソニア 野元昭嘉 50kg 1馬身1/4

レースでは後方寄りの位置から進み、徐々にポジションを上げました。重馬場で58キロを背負いながら、直線ではしぶとく伸びます。先に抜け出したブラボーグリーンとの争いは、同タイムのハナ差。着差はわずかでも、条件を考えれば内容の濃い勝利でした。

興味深いのは、2着ブラボーグリーンに騎乗していたのが柴田善臣騎手だったことです。約2か月後の天皇賞(秋)では、その柴田善臣騎手がオフサイドトラップの手綱を取ります。

七夕賞が「初めて重賞タイトルへ届いた名勝負」なら、新潟記念は「初重賞が偶然ではなかったと証明した名勝負」です。57キロから58キロへ斤量が増え、良馬場から重馬場へ条件が変わっても連勝したことで、オフサイドトラップは一気に秋のGI戦線へ浮上しました。

1998年天皇賞(秋)|見事な勝利とだけ言えない名勝負

1998年11月1日、東京競馬場で行われた第118回天皇賞(秋)。

主役はサイレンススズカでした。中山記念、小倉大賞典、金鯱賞、宝塚記念、毎日王冠を含む6連勝中。毎日王冠ではエルコンドルパサーとグラスワンダーを寄せつけず、天皇賞(秋)でも圧倒的な1番人気に支持されていました。

一方のオフサイドトラップは、七夕賞と新潟記念を連勝していたものの6番人気。新潟記念まで騎乗した蛯名正義騎手はステイゴールドに乗ることになり、柴田善臣騎手との初コンビで大一番へ挑みました。

サイレンススズカが作った大きなリード

レースが始まると、サイレンススズカはいつものように先頭へ立ちます。後続を大きく引き離す逃げ。その後ろでサイレントハンターが2番手、オフサイドトラップはさらにその後ろの3番手付近を進みました。

オフサイドトラップは、ただ展開に恵まれるのを待っていたわけではありません。離れた3番手で自分のリズムを守り、前を追いかけすぎず、後ろから来る有力馬にも脚を残す位置を取っていました。

4コーナー手前で起きたアクシデント

しかし、4コーナー手前でサイレンススズカに故障が発生します。競走を中止し、そのまま競走馬として帰ってくることはありませんでした。

テレビでライブ観戦していた私も、この瞬間の衝撃を忘れられません。逃げ馬が失速したというレベルではなく、明らかに異変が起きたと分かる場面でした。

直線ではオフサイドトラップが先頭へ。後方から蛯名正義騎手のステイゴールドが追い込みましたが、その差は詰まり切りません。オフサイドトラップが1分59秒3で優勝し、ステイゴールドに1馬身1/4差をつけました。

1998年天皇賞(秋)結果
1着 オフサイドトラップ(柴田善臣)1分59秒3
2着 ステイゴールド(蛯名正義)1馬身1/4差
3着 サンライズフラッグ 3馬身差
サイレンススズカは競走中止

「運が良かった」だけで終わらせてよいのか

正直にいえば、私も当時は「オフサイドトラップは運が良かった」と感じました。サイレンススズカが無事なら、結果がどうなっていたかは誰にも分かりません。あの大きなリードと当時の充実ぶりを考えれば、サイレンススズカが勝っていたと考えるファンが多いのも当然です。

レース後も、オフサイドトラップのGI初制覇を手放しで「見事な勝利」と喜べる雰囲気ではありませんでした。競馬場全体、テレビ中継、競馬ファンの気持ちが、故障したサイレンススズカへ向いていたからです。

ただし、年月を経て成績を見直すと、オフサイドトラップを単なる幸運な勝ち馬と呼ぶことにも違和感があります。

  • 天皇賞(秋)の前に芝2000メートルの重賞を2連勝していた
  • 新潟記念では58キロと重馬場を克服していた
  • 1998年はGI前まで6戦して1着2回、2着3回、3着1回だった
  • 天皇賞(秋)では好位で流れに乗り、最後まで脚を残した
  • 2着ステイゴールドに1馬身1/4差をつけている

競馬では、何が起きても最後まで走り切り、先頭でゴールした馬が勝者です。サイレンススズカの悲劇を忘れないことと、オフサイドトラップの勝利を正当に評価することは両立します。

あの天皇賞(秋)は、サイレンススズカにとって悲劇のレースであり、同時にオフサイドトラップと陣営が何年も諦めなかった末にGIへ届いたレースでもありました。どちらか一方だけを語るのではなく、二つの事実を記憶することが大切だと思います。

柴田善臣騎手の勝利インタビューとGI勝利

1998年天皇賞(秋)の勝利騎手インタビューは、現在でも動画共有サイトやSNSで取り上げられることがあります。明るい表情や言葉だけを切り取られ、サイレンススズカの故障と対比されることも少なくありません。

しかし、柴田善臣騎手はオフサイドトラップに初めて騎乗し、GIの大舞台で結果を出しました。レース中は故障の詳細やその後の状況を知ることはできません。ジョッキーとして自分の騎乗馬を勝利へ導き、その馬と関係者についてインタビューに答えるのは当然の役割です。

インタビューだけを後から切り取り、騎手や勝ち馬を責めるのは違うでしょう。むしろ、2番手のサイレントハンターを見ながら3番手で折り合い、直線で確実に抜け出した騎乗を評価したいところです。

柴田善臣騎手の中央GI勝利一覧

オフサイドトラップの天皇賞(秋)は、柴田善臣騎手にとって4勝目の中央GIでした。その後も勝利を重ね、中央GIは通算9勝となっています。

レース 競走馬
1993年 安田記念 ヤマニンゼファー
1993年 天皇賞(秋) ヤマニンゼファー
1996年 NHKマイルカップ タイキフォーチュン
1998年 天皇賞(秋) オフサイドトラップ
2000年 高松宮記念 キングヘイロー
2006年 高松宮記念 オレハマッテルゼ
2010年 宝塚記念 ナカヤマフェスタ
2012年 エリザベス女王杯 レインボーダリア
2014年 安田記念 ジャスタウェイ

ヤマニンゼファーで安田記念と天皇賞(秋)を勝ち、タイキフォーチュンで第1回NHKマイルカップを制覇。キングヘイロー、オレハマッテルゼ、ナカヤマフェスタ、レインボーダリア、ジャスタウェイでもGIを勝っています。

これだけ長く関東のトップ騎手として活躍したことを考えると、「もう少しGIを勝っていてもよかった」と感じるファンがいるのも分かります。一方で、代打や乗り替わりでも結果を残してきた柴田善臣騎手らしいGI勝利の一つが、オフサイドトラップとの天皇賞(秋)でした。

オフサイドトラップの血統|父トニービン×母父ホスピタリテイ

オフサイドトラップの父はトニービン、母はトウコウキャロル、母父はホスピタリテイです。

区分 馬名 ポイント
トニービン 凱旋門賞馬。東京の長い直線で持続力を発揮する産駒を多く送り出した
父父 カンパラ グレイソヴリン系につながるスピードと持続力
トウコウキャロル 日本で積み重ねられてきた牝系
母父 ホスピタリテイ 地方・中央を問わず活躍馬を出した日本の名種牡馬

父トニービンから受け継いだ東京適性

トニービンは1988年の凱旋門賞を制した欧州の名馬で、日本で種牡馬入りすると1994年のJRAリーディングサイアーになりました。代表産駒にはウイニングチケット、ベガ、エアグルーヴ、ジャングルポケットなどがいます。

トニービン産駒は、東京競馬場の長い直線で持続的に伸びるタイプが多いことで知られました。オフサイドトラップも東京では、セントポーリア賞、バレンタインステークス、天皇賞(秋)を勝利。天皇賞(秋)では早めに先頭へ立ちながら、ステイゴールドの追撃を最後までしのいでいます。

一瞬の切れだけに頼るのではなく、長く脚を使って相手を抑え込む。東京芝2000メートルで見せた走りには、トニービン産駒らしい持続力が表れていました。

母父ホスピタリテイの底力

母父ホスピタリテイは、現役時代にセントライト記念などを勝った名馬です。種牡馬としてもミホノブルボンの母父となり、日本競馬の血統表に確かな存在感を残しました。

オフサイドトラップは、デビュー3戦目のダート1800メートルで初勝利を挙げています。基本的には芝の中距離馬でしたが、パワーを求められる重馬場の新潟記念も勝ちました。こうした力強さには、母系の影響もあったのかもしれません。

血統が示していた「遅れて咲く中距離馬」

若い頃からクラシックへ進む能力がありながら、本当の完成は8歳になってから。オフサイドトラップの競走生活は、成長力と持続力を備えた中距離血統の魅力を感じさせます。

もちろん、脚部不安がなければもっと早く完成していた可能性もあります。それでも、何度休んでも能力を失わず、最後に芝2000メートルの重賞を3連勝した点は、この血統の底力を示す結果でした。

オフサイドトラップの通算成績と主なレース結果

オフサイドトラップの通算成績は28戦7勝・2着8回・3着5回です。JRA公表の総賞金は4億3,625万円でした。

年月日 レース 着順 人気 騎手 ひとこと
1994年3月 若葉S 1着 1番人気 安田富男 3連勝でクラシックへ
1994年4月 皐月賞GI 7着 5番人気 安田富男 勝ち馬ナリタブライアン
1994年5月 東京優駿GI 8着 6番人気 安田富男 三冠馬と同じ舞台へ
1995年2月 バレンタインS 1着 1番人気 安田富男 東京芝1800mで快勝
1997年3月 中山記念GII 2着 4番人気 安田富男 重賞初連対
1998年5月 新潟大賞典GIII 2着 4番人気 安田富男 復活を印象づける好走
1998年7月 七夕賞GIII 1着 2番人気 蛯名正義 通算25戦目の初重賞
1998年8月 新潟記念GIII 1着 1番人気 蛯名正義 58kg、重馬場、ハナ差
1998年11月 天皇賞(秋)GI 1着 6番人気 柴田善臣 8歳でGI初制覇
1998年12月 有馬記念GI 10着 8番人気 蛯名正義 現役最後のレース

7勝という数字だけを見ると、歴史的名馬としては少なく感じるかもしれません。しかし、2着8回、3着5回を加えると28戦中20戦が馬券圏内です。

1番人気では8戦4勝、2着1回、3着2回。ファンから高く評価されたときに大きく崩れることも少ない馬でした。人気と期待を背負いながら、脚部不安を抱えて走り続けた堅実さは、もっと評価されてよいと思います。

引退後とオフサイドトラップが残したもの

天皇賞(秋)の次走は1998年有馬記念。グラスワンダーが勝ったレースで10着となり、これが現役最後の出走でした。1999年に競走馬を引退し、種牡馬入りしています。

種牡馬として大きな成功を収めることはできず、2003年に種牡馬を引退。その後は北海道新冠町の明和牧場で余生を送り、2011年8月29日に20歳で亡くなりました。

競走馬の評価は、勝利数や産駒成績だけで決まるものではありません。

オフサイドトラップは、クラシック候補として期待され、故障で何度も立ち止まり、勝ち切れない時期を過ごしました。それでも走ることをやめず、最後には芝2000メートルの重賞を3連勝してGI馬になりました。

派手な連勝を続けた無敗馬ではありません。早い時期から世代の頂点に立った馬でもありません。しかし、順調ではなかった競走生活の最後に大きな勲章をつかんだ姿は、競馬の奥深さを教えてくれます。

オフサイドトラップ感想|あの天皇賞(秋)を今振り返る

1998年の天皇賞(秋)をライブで見たとき、私は「オフサイドトラップ、見事なGI制覇」と素直には思えませんでした。

サイレンススズカの故障があまりにも衝撃的だったからです。結果はオフサイドトラップの1着。それでも、レースを見終わった直後は勝ち馬よりも、競走を中止した逃げ馬のことばかり考えていました。

時間がたってから振り返ると、見え方は少し変わります。

オフサイドトラップは、皐月賞5番人気、ダービー6番人気だった素質馬です。脚部不安を抱えながら28戦を走り、8回の2着と5回の3着を積み重ねました。そして七夕賞、新潟記念を連勝して天皇賞(秋)へ進んでいます。

運が向いた面はあったでしょう。しかし、その運が向く場所に立つまで、陣営は何年も馬を立て直し続けました。オフサイドトラップ自身も、目の前のレースを最後まで走り切りました。

だから今は、「サイレンススズカの悲劇が起きた天皇賞」と同時に、「オフサイドトラップが長い苦労の末に勝った天皇賞」として覚えていたいと思います。

競馬には、勝者が心から祝福されにくいレースがあります。1998年天皇賞(秋)は、その代表かもしれません。それでも勝ち馬の歩みまで消してはいけない。オフサイドトラップは、故障に負けず、晩年に才能を開花させた立派なGI馬です。

今週の競馬無料予想を比較したい方へ

過去の名勝負を振り返ると、芝適性、距離実績、近走内容、斤量、騎手の乗り替わりなど、馬券を考えるうえで確認したい材料が多いことに気づきます。

自分の予想だけで決めきれない週は、複数の無料予想を見比べて、本命馬や買い目の共通点を探す方法もあります。ここでは、無料情報を確認できる競馬予想サイトを2つ紹介します。

※以下には広告・PRリンクが含まれます。競馬に絶対はありません。無料情報の公開日時、対象レース、登録方法などは変更される場合があるため、利用前に各公式サイトで最新情報をご確認ください。有料情報を利用する場合は、内容と料金を確認し、無理のない範囲で判断してください。

俺の競馬予想

毎週のメインレースを中心に無料予想を公開。公式サイトでは、土曜日1鞍・日曜日1鞍の計2鞍を無料会員向けに公開すると案内されています。重賞の予想を比較したいときに確認しやすいサイトです。

  • メールアドレスで無料会員登録
  • 週末の無料予想をチェックできる
  • レース回顧や読み物も確認できる

俺の競馬予想の無料情報を見る

うまサプリ

競馬予想に役立つ無料コンテンツや予想情報を提供している会員制サイトです。自分の見解と別の視点を比較したいときは、公開中の無料情報から確認してみてください。

  • 競馬予想に関する無料コンテンツを掲載
  • 自分の本命馬や相手候補との比較に使える
  • 最新の公開内容は公式サイトで確認

うまサプリの無料情報を見る

サイト 無料で確認できる内容 向いている人
俺の競馬予想 週末の無料予想、見解、レース回顧など 土日のメインレースを比較したい人
うまサプリ 競馬予想に役立つ無料コンテンツ 別の視点を予想へ加えたい人

最初から有料情報を使う必要はありません。まずは無料情報の公開レース、券種、点数を確認し、自分の予想と比べて判断するのがおすすめです。

オフサイドトラップについてよくある質問

オフサイドトラップの通算成績は?

通算28戦7勝です。内訳は1着7回、2着8回、3着5回、4着以下8回。勝率25.0%、連対率53.6%、3着内率71.4%でした。

オフサイドトラップの主な勝ち鞍は?

1998年の天皇賞(秋)GI、七夕賞GIII、新潟記念GIIIです。3つの重賞勝利はいずれも8歳時に挙げました。

オフサイドトラップとナリタブライアンは同期?

はい。ともに1991年生まれです。1994年の皐月賞と日本ダービーで対戦し、オフサイドトラップは皐月賞7着、日本ダービー8着。両レースともナリタブライアンが勝ちました。

1998年新潟記念の結果は?

1着オフサイドトラップ、2着ブラボーグリーン、3着ファーストソニアです。オフサイドトラップは蛯名正義騎手を背に、58キロを背負って重馬場の芝2000メートルを2分00秒6で走破。2着とはハナ差でした。

天皇賞(秋)でオフサイドトラップに騎乗した騎手は?

柴田善臣騎手です。七夕賞と新潟記念では蛯名正義騎手が騎乗していましたが、天皇賞(秋)では蛯名騎手がステイゴールドに騎乗したため、柴田善臣騎手との初コンビになりました。

オフサイドトラップの血統は?

父トニービン、母トウコウキャロル、母父ホスピタリテイです。父トニービンは凱旋門賞馬で、ウイニングチケット、ベガ、エアグルーヴ、ジャングルポケットなどを送り出した名種牡馬です。

なぜ1998年天皇賞(秋)は悲劇のレースと呼ばれる?

圧倒的1番人気だったサイレンススズカがレース中に故障を発生し、競走を中止したためです。勝ったのはオフサイドトラップですが、レース後はサイレンススズカの故障に大きな注目が集まりました。

オフサイドトラップは運だけで天皇賞(秋)を勝った?

サイレンススズカの故障が結果へ影響したことは否定できません。しかし、オフサイドトラップは直前に七夕賞と新潟記念を連勝し、1998年は天皇賞(秋)まで全戦3着以内でした。好位から最後まで走り切り、2着ステイゴールドに1馬身1/4差をつけた実績まで含めて評価する必要があります。

まとめ|オフサイドトラップは苦難の末にGIへ届いた名馬

オフサイドトラップは、三冠馬ナリタブライアンと同期のクラシック候補でした。皐月賞5番人気、日本ダービー6番人気という評価からも、関東期待の素質馬だったことが分かります。

しかし、競走生活は順調ではありません。度重なる脚部不安により長期休養を繰り返し、重賞で2着や3着に好走してもなかなか勝てない時期が続きました。

それでも陣営は諦めず、8歳となった1998年に才能が開花します。蛯名正義騎手とのコンビで七夕賞と新潟記念を連勝。天皇賞(秋)では柴田善臣騎手を背に、ステイゴールドを1馬身1/4抑えてGI初制覇を果たしました。

1998年天皇賞(秋)は、サイレンススズカの故障を抜きに語ることはできません。私自身、ライブで見た直後はオフサイドトラップの勝利を素直に喜べませんでした。

ただ、オフサイドトラップの競走生活全体を知れば、あの勝利までに長い物語があったことも分かります。

運が向いたのは確かでも、運だけでGI馬になったわけではない。

脚部不安と戦い、何度も復帰し、28戦中20戦で3着以内に入り、晩年に重賞3連勝を成し遂げた馬。オフサイドトラップは、競馬史に残る不屈の名馬です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました